神棚、方位、祀り方、お札の入れ方などについて
神棚、方位、祀り方、お札の入れ方などについて
かなり詳しく書いてありますが、実際に行う場合にはもっと簡素化されているのが現状です。基本形式としてまとめてあります。個人の方がご家庭で参拝するのに必要十分すぎるぐらいの内容だと思います。
大きく分けるポイントとして、
1.神棚ってどうしてあるのか?
2.どうやって祀るのか?
3.しなければならない必要な事は何? の三本立てで解説してあります。
前にも書きましたが、実際問題として形式的なことよりも簡素化されているのが実情だと思います。
必要最低限の事柄を知っておくと何かといいと思います
1.神棚の位置は間違えないでください
2.米・酒(水)・塩はお供えしたほうがいいでしょう
3.二拝二拍手一拝はできればしてください
二拝二拍手一拝
作法だとか学術的なことだとかでは頭になかなかはいりませんし、それほど必要なことでもありません。
要するにこういうことです。
二拝(二回お辞儀)をして神様に挨拶をします。
二拍手(パン♪パン♪と手を叩き)して神様を呼びます。
そしてお願い事などを伝えます。
最後に一拝(一回お辞儀)をして、ありがとうございました、という気持ちを伝えます。
それだけです。気持ちの問題です。
個人個人の気持ちを大切にしています。
「こうしなければいけない」「これを絶対にしなければならない」のような縛りつけるような事はありません。
普通の生活で意識しないぐらいとけこみ、馴染みが深いのが日本の神道です。
[まとめのまとめ]
■神棚の位置
明るく、家族全員親しみ易い所、拝礼のしやすい場所で南向きに置くのが良いとされています。
また神棚を仏壇と同じ部屋に置く場合は向かい合わせにしないのがルールです。
■神棚の方向
部屋の北側に安置し南方に向けるか西側 に安置して東方にむけるのがよいとされています。
■神棚を購入するときのポイント
ここが気になるところだと思います。同じ形なのに値段がさまざまあり、初めての方にはわかりずらい面があるかと思います。
神棚は一般に檜(ひのき)や檜葉(ひば)材の白木製のものが多く、特に柾(まさ)目の物が最上とされています。
つまり木のどの部分で製作していくかが価格の差でもあります。
また、むやみに大きいものは必要ありませんし、豪華である必要もありません
■しめ縄
神聖な場所を区別する意味のしるしです。本の太い方 を向かって右にします。
■お神札
三社宮の場合中央が最上位、次が向かって右、その次が左です。
従って大神宮様が中央、氏神様が向かって右、その他の神様を左に奉安いたします。
一社宮の場合は一番前が大神宮様その後に氏神様、その後にその他の神様を奉安いたします。
■神棚を取り替える時期
神棚を取り替える時期もいろいろあり地方では毎年神棚を新しくする場合もあります。一般的には5年〜10年が多いようです。
古くなった神棚は、お近くの神社でお札同様焼納していただけます。汚れてきたら取り替えたほうが良いと思います。
神棚は先祖代々受け継ぐというものではありません。
■神拝の作法
お供えの前に手と口を清め、お願いごとをした後、二度お辞儀、そして二度柏手(かしわで)を打ち最後に深くお辞儀をします。
これが「二拝、二拍手、一拝 [にはい、にはくしゅ、いっぱい]」と言われるものです。
■お供え物
毎日ご洗米又は御飯、お水、塩をお供えし、一日、十五日にはお酒や榊木、山海の産物をお供えします。
■大掃除
一般にお正月を迎える前に神棚を大掃除し、神社から頂いた新しい御神礼を納めます。
しめ縄や神幕・御簾(みす)も、新しいものと交換し、まゆ玉などをきれいに飾り付けます。
一年に一回ぐらいは大掃除をしましょう。案外汚れているものですよ。
■扉について
普段は閉めています。一般家庭では大掃除や御札の入れ替えの時ぐらいしか開けることはありません。
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神棚について(内祭)家庭の神様
家庭の中には、さまざまな神様と同時に、家のご先祖もまつられています。
そこで、家の中には、いったいそんな神様がまつられているのか、また、神様とご先祖様はどんな関係があるのか、簡単に説明してみましょう。
まず、古来、家庭の中にはどんな神様がまつられてきたか、考えてみますと、毎年お正月にだけおまつりする歳神様、農家や商家などでとくにおまつりする大黒様、恵比寿様、台所におかま様、井戸に井戸様、お便所に厠(かわや)様など、あげてみればきりがありません。古い農家などでは、これらすべての神々を祀っている場合もあります。
ただ、これらの神様は、特別に神殿を設けず、お神札を直接柱にはったり、井戸そのものにお供えしたりしておまつりする場合が多く、神殿とはいえないことがあります。もちろん、立派な神殿にまつられている場合も少なくありません。
一般に神殿と呼ばれるのは、伊勢神宮のお神札(神宮大麻)や氏神様のお札をまつる神殿のことで、神殿といえばたいていこの棚のことをいい、伊勢神宮の御璽をまつるところから大神宮ともいいます。
この神殿には、最も身近な氏神様、産土(うぶすな)神様もあわせて祀り、それぞれの家庭が信仰している神社のお神札なども祀ります。こうして、家族一同の安泰を祈るのです。
ところで、なぜ、神殿に伊勢神宮のお神札が必ずまつられているかといいますと、私達の住むこの日本は、この天照大御神(あまてらすおおみかみ)の新徳によって秩序づけられて、発展してきた国だからであります。しかも、これらのことが単なる神話ではなく、実際の生活の中に今も生きているからであります。
皇室でのおまつりも、伊勢神宮のおまつりも今日まで絶えたことがありません。加えて、中世以来の伊勢神宮に所属した御師(神宮に参拝する人々の案内や宿泊の世話、お祓い、お神札配りなどを職とした)の活躍はめざましいものがあり、全国いたるところで足を運び、神宮大麻を配って歩いた努力も見逃すことはできません。
こうした事から、神殿を祀る家庭では、天照大御神にまず、祈りをささげるという信仰が生まれ、今日でもそれが受け継がれているということは、素晴らしいことといわざるをえません。
これに加えて、どこの家庭でも必ず祀っているのがご先祖様です。
ほとんどの家では、江戸時代の檀家制度のなごりで、宗旨の違いはあるにしても仏壇で祀っています。あるいは神式で、御霊舎に祀っています。
ご先祖様は、仏式では仏様、神式では神様と呼び、祀る形式こそ違いますが、要は、ご先祖様を祀ることには変わりがありません。このご先祖様の御霊と神社や神殿に祀る神々との関係は、普通、こんな風に説明されています。亡くなった人の供養や慰霊の祭は33回忌(仏式)30年祭あるいは50年祭(神式)を最後とする場合がほとんどで、これを「まつりあげ」と読んでいます。
長い年月がたつと、ご先祖は鎮守の森に帰られるとも、高い山に居られるとも地方によっては、神々の信仰がありますが、いずれにしても末永く私達を御守護下さると信じられています。家庭の中に祀られる神様やご先祖様の関係は、こうした日本古来の考え方から生まれ、受け継がれていることがおわかりいただけたと思います。
内祭用神殿のまつり方
神殿は、清らかで明るく、静かな高いところでお祀りします。
さて、それでは神殿は何処に設けたらよいのでしょうか。
その際、最も重んじなければならないのは、清浄ということです。
清らかで、明るく静かな高い所が、そのためには最もよいでしょう。また、家庭の人々が親しみやすく、お供え物をしたり、拝むのに都合のよい場所というのも条件に入ってきます。
神殿の方向は、南、あるいは東向きがよく、大きさは適宜です。
二階のある家では、神殿の上を頻繁に人が歩くところは、避けなければなりません。
神殿の舗設(ほせつ)と、注連縄(しめなわ)、榊(さかき)、その他
神殿を祀る場所が決まりましたら、そこに棚を作ります。鴨居などを利用するのが一番よいでしょう。
棚の中央に神殿をすえ、左右にお榊や燈明具を立て正面に注連縄を張ります。
神殿は、お正月に近づく頃にたつ歳市や神具店で求められます。いろいろな形のものがありますが、神棚の広さ、大きさによって、適当なものを選んで下さい。
注連縄は、普通、稲藁で左綯(ひだりない)にしたものを用います。
これは神聖なる場所を示す標示で、四垂(よたれ)あるいは八垂(やたれ)の紙垂(しで)をつけます。
紙垂は、自分で作ってもよいのですが、氏神様に行けば、すぐいただけます。しかし、場合によって略してもかまいません。
お榊は、常に生々と、みずみずしいものでなければなりません。
榊(さかき)は、栄える木との意味で、地方によっては、樫、松、杉、樅(もみ)なども用います。常緑樹であることが大切なのです。
これは、榊立てに入れて供えます。
燈明具は、ロウソク立て、陶器、真鍮製のもの、電燈式のものと、種類がたくさんあります。
その他、お供えをするための三方(お供えをのせる台)・瓶子(へいし)・皿なども、適宜用意する必要があります。
[注連縄の向き]牛蒡注連(ごぼうじめ)
左右どちらにするのかわからない方も多い注連縄(しめなわ)ですが、神棚の前にこのように向けます。白い紙のことを「紙垂(しで)」といいますが、その紙垂の織り方に流派があり地域ごとに違うこともあります。
尚、「紙垂」を「四手」「垂」とも書きます。
この垂れを付けた領域は聖域の印なので、他の縄とは区別するためについています。
神座について(お神札の納め方)
神殿を祀る場所が決まりましたら、そこに棚を作ります。鴨居などを利用するのが一番よいでしょう。
棚の中央に神殿をすえ、左右にお榊や燈明具を立て正面に注連縄を張ります。
神殿は、お正月に近づく頃にたつ歳市や神具店で求められます。いろいろな形のものがありますが、神棚の広さ、大きさによって、適当なものを選んで下さい。
注連縄は、普通、稲藁で左綯(ひだりない)にしたものを用います。
これは神聖なる場所を示す標示で、四垂(よたれ)あるいは八垂(やたれ)の紙垂(しで)をつけます。
紙垂は、自分で作ってもよいのですが、氏神様に行けば、すぐいただけます。しかし、場合によって略してもかまいません。
お榊は、常に生々と、みずみずしいものでなければなりません。
榊(さかき)は、栄える木との意味で、地方によっては、樫、松、杉、樅(もみ)なども用います。常緑樹であることが大切なのです。
これは、榊立てに入れて供えます。
燈明具は、ロウソク立て、陶器、真鍮製のもの、電燈式のものと、種類がたくさんあります。
その他、お供えをするための三方(お供えをのせる台)・瓶子(へいし)・皿なども、適宜用意する必要があります。
[注連縄の向き]牛蒡注連(ごぼうじめ)
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左右どちらにするのかわからない方も多い注連縄(しめなわ)ですが、神棚の前にこのように向けます。白い紙のことを「紙垂(しで)」といいますが、その紙垂の織り方に流派があり地域ごとに違うこともあります。
尚、「紙垂」を「四手」「垂」とも書きます。
この垂れを付けた領域は聖域の印なので、他の縄とは区別するためについています。 |
神座について(お神札の納め方)
神殿の準備が整ったところで、次に、どのように神様を祀ったらよいかを考えてみましょう。
本来であれば、神様がお鎮りになる御霊代(みたましろ)をその中に納めます。
御霊代には一般に御弊(ごへい)や鏡を用います。しかし、神殿の場合はお神札でこれに代えています。
神座の順位は、中央を最上位とし、次がむかって右となります。
したがって、三殿造や大きい神殿では、中央を伊勢の神宮大麻とし、むかって右に氏神様のお神札、むかって左にその他の信仰する神社のお神札を納めます。
神殿が小さい場合には、神宮大麻を一番手前に、氏神様をその他、各地の神社参拝の折にいただいた、お神札については、適宜、神殿が乱雑にならないよう、気を配って納めてください。
お供え物と、器、供え方など
神様にお供えするものを神饌(しんせん)といいます。
神饌は、毎日お供えするのが原則です。毎日お供えするものは、お米(洗い米・御飯)・塩・水の三品です。
少しずつ白い小皿に盛り、水は水器にいれて供えます。神具店で、専用のものを手に入れるとよいでしょう。
お供えは、そのまま神殿の上に供えてもよいのですが、正式には三方(さんぽう)や折敷(おしき)に載せます。
お正月や、毎月一日・十五日あるいは家族の記念日などにはいつもよりたくさんの、供えものをした方がよいでしょう。
季節のものや、その折々の御馳走なども、ぜひお供えしたいものです。
そうした折の神饌の準備ですが、米・酒・塩・水の基本的なもののほかに海川山野の種々なものを用意いたします。お供えの順は、米・酒・魚・野菜・果物・塩・水とし、神座の順と同様に、中央からむかって右、次に左と順々に並べてください。狭い神殿では合せ盛りにして供えても結構です。おさがりは、家族みんなで少しずついただいたらよいでしょう。
神殿を拝する作法・二拝二拍手一拝
神拝の作法は、神社にお参りするときと同じです。
二拝二拍手一拝(にはいにはくしゅいっぱい)というのが基本で、まず神前に進んで軽く頭を下げてから二拝(深くお辞儀をする)し、次に拍手を二度、次に一拝します。
神前を退く時には、また軽く頭を下げます。お参りの作法は以上の通りですが、この時、祓詞(はらえことば)・神殿排詞(しんでんはいし)などを奏上できれば、なおよろしいでしょう。
参考のために簡単なものを載せておきます。(下記参照)
一家の主人(または主婦)が、毎朝顔を洗い、口をゆすいで、心身ともに清めた後で、お供物をした後で、おごそかに拝するのがよろしいでしょう。お正月、ご祝儀、七五三などの時には、家族全員が揃って、お参りします。特に、お祝いの本人を中心として、お参りしてください。祓詞・神殿拝詞は、ゆっくりと丁寧に奏上いたします。祓詞は、心身を清める詞ですからどんな場合に称えてもかまいません。神殿の前では、祓詞・神殿拝詞の順に奏上します。
祓詞(はらえことば)
祓詞(はらえことば)
かけまくもかしこきいざなぎのおほかみつくしのひむかのをどのあはぎはらに
掛巻も恐き伊邪那岐の大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
みそぎはらひしときになりませるはらひどのおほかみたち
御禊祓ひたまひし時に生り坐せる祓戸の大神たち
かむながらなるおほみちのなかにうまれてありながらそのみかげをしふかくおもはずて
惟神なる大道の中に生まれて在りながら其御蔭をし深く思はずて
すめかみたちのみめぐみをおほろかにおもひたりしときにあやまちをかせるはさらなり
皇神たちの御恵みを太呂加に思ひたりし時に過ち犯せるは更なり
いまもつみけがれあらむをばはらひたまひきよめたまへとまをすことを
今も罪穢有らむをば祓ひたまひ清め給へと白すことを
やほよろづのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもまをす
八百萬の神たち共に聞食せと恐み恐みも白す
祓詞の大意
伊邪那岐神は、黄泉国(死者の住む国)へ行って、汚れたため阿波岐原という浜辺で禊(みそぎ)を致しました。その時、たくさんの神々が誕生になりました。この神々を祓戸大神と申しますが、その神徳によって私たちの犯した罪や心身のけがれを祓い清めてて下さい
と申し上げるのが、この祓詞の大意です。
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神殿拝詞
神殿拝詞
これのかむどこにますかけまくもかしこきあまてらすおほみかみうぶすなのおほかみたちの
此の神床に坐す掛も畏き天照大御神産土大神等の
おほまえををろがみまつりてかしこみかしこみもまをさくおほがみたちの
大前を拝み奉て恐み恐みも白さく大神等の
ひろきあつきみめぐみをかたじけなみまつりたかきたときみをしへのまにまに
廣き厚き御恵を辱み奉高き尊き神教のまにまに
なほきただしきまごころもちてまことのみちにたがふことなくおひもつわざに
直き正しき眞心もちて誠の道に違ふことなく負ひ持つ業に
はげましめたまひいえかどたかくみすこやかによのためひとのために
勵ましめ給ひ家門高く身健かに世のため人のために
つくさしめたまへとかしこみかしこみまをす
盡しめ給へと恐み恐みも白す
神殿拝詞の大意
神殿にまつわる天照大御神や産土大神等に神々の教えのままに、人の道を踏みはずすことなく、自分の従事する仕事に励み、家族が健康で、世のため人のために尽くすことができますように
と願うのが、この神殿拝詞の大意です。
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お神札について
年末になりますと、神社から新しいお神札が配られます。伊勢の神宮のお神札(神宮大麻)と氏神様のお神札です。受けたお神札はふつう床の間にしばらく置き、家中の大掃除をして、神殿も綺麗にしてから納めます。
古いお神札は、神社の古札納所へ納めます。
この古いお神札は、一般にお正月のお飾りなどとともに、清らかな火で焼きあげられます。
この行事は、地方により「どんど焼き」とか「左義長」といわれ、民間行事として有名になっているものもあります。
ではどうして、毎年お神札やお守りを新しくするのでしょうか?。
このことは、お正月に神様が、家々を訪れるという信仰に関係があります。
毎年、神様を迎えるにあたり、門松を立て、地方ではお正月棚を飾ります。門松は、松と竹を中心に青々と綺麗に飾ります。お正月棚を吊るところは、もう少なくなってしまいましたが、座敷の中央に恵方から歳神様が、やってこられるというからです。
お正月棚には、真っ白い御弊、真新しい注連縄を張り、鏡餅やいろいろなお供えがなされます。
神様をもてなすのですから、やはり綺麗で清々しくなくてはなりません。新しいものなら、なお結構です。
私たちは新しいもの、若々しいもの、明るいものを古来尊重してきました。
これらのものに宿る生命の息吹を感じ、躍動する精気を尊び大切にしてきたのです。
しかし、一般の家庭の神殿や神社の社殿を毎年新しくすることは不可能といえます。
ですから、できるだけ新しい清々しく保とうとします。生命が枯れないように努力します。
伊勢の神宮では式年遷宮(しきねんせんぐう)といって、20年毎に社殿の神様の御装束・神宝など一切のものを新しくするという祭儀があり、もう1300年もの間続いています。こうした20年毎の制度が生まれて、この一大祭儀が長い間たくさんの人々の努力によって守り続けられてきたのは、常に若い生き生きとした、生命の輝きを最も大事なものとしてきた結果でしょう。
古くなり、色あせてしまうから20年毎に新しくし、生命のよみがえりを信じていってきたのです。
当然のことながら、建物が新しくなれば、神様の力もよみがえります。毎年、私たちの家庭でも、同じことを繰り返しているわけです。
神殿を清め、新しいお神札をおまつりすることによって、神様の力がよみがえり、そのおかげで家族みんなが、はつらつとして生きる力に満ちてくるのです。もちろん、そこには、お正月に神様が訪れるという信仰が生きてきているのです。
History of the Kamidana
The Kamidana exists to house the Ofuda (yearly symbol of Okami).
Having the Kamidana/Oyashiro in your home, office or dojo generates a truly wonderful fresh feeling. Everyone can go outside in the morning, bow and clap and give thanks to Taiyo (Sun/solar progenitor) Shinto teaches us that we receive our lives from Amaterasu Omikami (Primal Amatsu Kami) and it Sarutahiko-no-Okami who teches us how to live (Primal Kunitsu Kami) When we can sincerely thank the Sun for giving/sustaining our lives we are experiencing Shinto thinking/feeling.
Amaterasu-Omikami was enshrined at the Grand Shrine of Ise in Mie prefecture.
She was given sacred treasures by her father "Izanagi-no-Mikoto". These treasures where to be enshrined as Kami. The present Kamidana has a deep relationship to the Grand Shrine of Ise. The Grand Shrine of Ise or "Jingu" is in Ise city in Mie. Jingu is composed of a large number of small shrines, centered around "Kotaijingu" and "Toyouke-Daijingu"...it is the largest and most revered of all Shinto shrines in Japan. Kotaijingu (Naiku) enshrines Amaterasu-Omikami, head of all heavenly (amatsu) kami and deity of the sun. In the divine age (Kamiyo) when the heavenly grandson Ninigi-no-Mikoto descended from the Great Plain of Heaven he brought with him the great gift of rice agriculture, the gift of Amaterasu-Omikami. Toyouke-Daijingu (Geku) enshrines Toyouke-no-Okami. The deity of food as the source of life and patron Kami of those occupations responsible for providing food, clothing and dwellings. The purpose of the "O-Ise-mairi"or pilgrimage to Ise is to express gratitude for these blessings and to approach the shrine of the "solar progenitor" or parent to our solar system upon whom we depend for our lives. In the Edo period "Ise-Kou" or fraternal groups formed in every part of Japan. When a pilgrimage was made to Jingu the amulet or "Oharai-taima" was taken home. These Oharai-taima were also distributed throughout Japan by the Ise-Kou or "Onshi "system. The "Daijingu-dana" or special house shrine was set up to enshrine the amulets of the Grand Shrine of Ise. This practise was the origin of todays House shrine or "Kamidana".